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001 考えるということ

書くこと考えてから書こうと思ってましたがそんなに考えるの続かないし、とりあえず書き始めたら筆は進むだろうという考えのもとに書き始めましたので筋とおってなかったりするかも。てゆーか筋がとおらないほどの長さも書けないかも。

さてさて「考える」ということですが、まぁ、使い古された言い回しもいいとこなんですが、考えるということは人間だけに与えられた特権です。

動物は生きる環境によっては知恵を働かせそれに適応した生活をするでしょうが、それでも動物は「生きる」こと、もっと長い目で見ると「種の存続」のためだけにその考える、ということを行っています。
動物的思考のみを行っている状態。

一方人間はその生活を見ていても、種の存続だけが目的でないことは明白です。
その一見余分な行為にこそ人間は生きる意味を感じ、その喜びを感じるために生きています。
そしてその余分な行為というのには必ず人間が考えた跡があります。
これが人間的思考。

ただ生活を便利にする道具や、社会の構成などは人間が人間として生きやすいように考えた末の結果ですからそう考えると人間だって動物的思考をしているわけです。

さて、ここで言う「動物的思考」と「人間的思考」は「本能」と「理性」というように分けられるのではないでしょうか。

じゃあ「本能」と「理性」の差ってなんなんでしょうね。

いわゆる娯楽、テレビとか映画とかゲームとかを考え出したのは、人間の特権とも言える理性的な行動である一方で、生きるということ自体に余裕を感じた人間の本能的な欲求の末の結果ではないのか。

そう考えると人間に与えられた特権のように思えた「考える」ということは実はいたって動物的なことなのかもしれない。

と言いつつ、それではおかしいこともある。

人間がこの考えるという動作を与えられた結果として明かに生物的に衰えているのは明白。
テーマがずれるのであまり触れませんが自殺や、働く女性、なんてのは明らかに生物的に考えてプログラムエラーです。
本気で種の存続だけを考えるならその人間様の高度な思考能力を駆使して子どもが生まれまくるような社会プログラムを作ればいい。
なのにこういう生物的エラーがおこるということは、早い話が人間という生物単位の話で、人間は生きることに余裕を感じてるわけです。
余裕があるからこんなエラーをおこすことができるだけ。

授業中にやれと言われた問題を動物たちが必死こいてやっている一方で、授業時間内に終わらせることなんか余裕な人間君は遊びながら問題解いてますってだけの話。

結局、「考える」ということは生きることに余裕がある人間だけが許された特権である、という原点帰結。

なんだこれ。
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