『考える人に100のお題』
(http://cochh.fc2web.com/100.html)
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たまに「周りの人が幸せでいられるなら自分はどうでもいい」という人がいます。
私に言わせるとこれはとんでもないきれいごとで、人間ってのは生き物ですから多かれ少なかれより多くの快感を得ながら生きたいというのが当然の感情です。
一方、「周りの人が幸せなら、同じように自分も幸せに感じる」という意見はまっとうなもの。
よっぽどひねくれていない限り人間には誰にでも献身による快感があります。
他人のために労力を使うことに快感を覚える、なにかをあげたりすることで喜んでもらうことが直接自分の快感になる、ということは当然の感情です。
なにかしてあげて「ありがとう」と言われて怒る人はいません。
ちなみに何故人は他人を喜ばせるかというと、究極的な話、それは自分のためにやっているにすぎません。
自分が快感を得ることの手段として他人を喜ばせるということをしているだけなのです。
ところで友達同士や恋人同士で、また親が子供に向かって「あなたの幸せは私の幸せ」というのはいたって普通ですし、同様に「あなたが悲しいと私も悲しい」というのも普通です。
そして親密な関係におけるそういった感情はたいてい相互関係を成していて、片方の幸せを犠牲にしたもう一方の幸せは本当の幸せとは言えません。
最愛の人の不幸と引き替えの幸せを想像できる人はいないはず。
このシステムは本当によくできていると思うんですけど、究極的には自分のためにやっていることなのに不思議と生まれる幸せはふたつ。そうであるのならわざわざ「自分はどうでもいい」なんて犠牲者ヅラするのはせっかくの幸せをぶちこわしているだけだと思いませんか。